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カテゴリー「富高小【周年】」の検索結果は以下のとおりです。

⑧正解は無い、良い答えはある

 学校・卒業生・在校生・将来の富小っ子の皆さんが、校歌の「誉と憂い」を知ることで「Keep moving forward」の一助になることを願い①~⑧を掲載しました。

 毎年、富高小学校では、入学式や卒業式を体育館で開催します。
 体育館内に、校歌の1番と3番が掲げてあります。
 1番の次が3番は不自然で「曰くが有り」を連想させます。
 長い間、児童の間で「2番は戦争に関係するらしい」とささやかれています。

連綿と歌う校歌を考える
1.校歌を作って頂いた「作者をはじめ関係者」に敬意の念を抱くこと。
2.先人の知恵を継承して「2番を掲示せず歌わないこと」を尊重すること。
3.校歌は1番の次は3番という「憂鬱」の先送りをしないこと。
4.提案 富高小校歌2番を、児童が「富高小の歴史と平和」を学ぶ教材にする。
 案1. 学校・児童・PTA・卒業生等の関係者で、150周年迄に決める。
 案2. 3番を2番に変え「1番の次は3番」を「1番の次は2番」として歌う。
 案3. 旧棚底小学校の校歌4番を、管理者の許可を得て2番として継承する。 

Keep moving forward(前に進み続ける)について
 映画「ルイスと未来泥棒」に使われたセリフで、ウォルト・ディズニーの名言「We keep moving forward, opening up new doors and doing new things… and curiosity keeps leading us down new paths.」に由来します。

 21,575名の卒業生、伝統を受け継ぐ富小っこ、富高小を愛する皆様へ

            文責:平成22年度・23年度 富高小学校PTA会長 則貞通純

⑦誉れと憂い

 現在、校歌の2番は歌われていません。1941年3月に作られた校歌は、当時の状況(太平洋戦争1941年12月-1945年8月)と日向の歴史を考慮して作られた様です。

日向国
(ひむかのくに)
 日本書紀の景行天皇紀に「是の国は直く日の出づる方に向けりとの宣ふ 故 其の国を号けて日向と曰ふ」と日向国を名付ける。

神武東征
 古事記・日本書記に、神武天皇(初代天皇)が日向から出航・大和を征服・橿原宮で即位する。

日本海軍発祥之地の碑(日向市美々津町に建立)
建立
復元
揮毫
説明
1942年(昭和17年)9月10日
1969年(昭和44年)9月12日
内閣総理大臣 海軍大将 米内光政
神武天皇御親率の東征水軍御進発の聖地
有栖川宮熾仁親王(日向市細島に滞在)
明治10年(1877年)02月19日
明治10年(1877年)07月14日~8月20日
明治20年(1887年)05月20日
明治24年(1891年)12月30日
(西南の役)征討総督に就任
征討総督が日向市細島に滞在
日本赤十字社初代総裁
伊勢神宮祭主
護衛艦ひゅうが(艦名は日向国(令制国)に由来)
初代
1915年05月06日

1917年01月27日

1945年07月24日

第六号戦艦、 三菱重工長崎造船所で起工
伊勢型は「伊勢」と「日向」の2隻を建造
進水式。東伏見宮依仁親王が御臨席。
連合艦隊の旗艦(大正09年11月24日まで)
広島県芸予諸島の情島沖で、米軍機の攻撃を受け沈没
2代目
2006年05月11日

2007年08月23日

2009年07月25日

護衛艦2319号艦、 I・H・I マリンユナイテッド横浜工場で起工
海上自衛隊が初めて全通甲板型を建造
進水式。小池百合子防衛大臣が「ひゅうが」と命名。
ひゅうが型(16DDH) 次級:いずも型(22DDH・24DDH)
国内初の寄港先、宮崎県日向市細島港第14号岸壁に入港

⑥昭和16年4月に新校歌

 現在の富高小学校の新校歌は、1941年(昭和16年)4月に制定されました。
 詩人の野口雨情氏が1941年(昭和16年)3月上旬に来校、自然環境・郷土史・学校教育方針等を研究して作詞をされました。

 1875年(明治8年)創立した天草市立棚底小学校は、2008年(平成20年)宮田小学校、浦小学校と統合して、天草市立倉岳小学校になりました。
 天草市立棚底小学校の校歌も、野口雨情氏が作詞され1941年(昭和16年)4月に制定されました。

 富高小学校は3番まで、棚底小学校は4番まであります。富高小学校の1番2番3番と棚底小学校の1番2番4番は、作詞が77%(平仮名146文字中112文字)似ています。ふたりっ子の校歌に親しみ(同窓生)を感じていました。
 現在、天草市立倉岳小学校は、新しい校歌に変わり寂しい限りです。

日向市立富高小学校 天草市立棚底小学校
 1 朝日たださす 富高の
  みどりも深き 米の山
  海山の幸 あつまれる
  われらの郷土 栄えあれ

 2 自然の恵 いや深き
  富高校は こゝにあり
  奉公ぎせいの 旗かざし
  学びの海に 船出せん

 3 心をみがき 体を練り
  勤励努力 進みなば
 「艱難汝れを玉にす」と
  古き教えの あるぞかし

 1 平和の光  さすところ
  緑も深き  倉が岳
  海山の幸  集まれる
  我らの郷土 栄あれ

 4 自然の恵み いや深
  棚底校は  ここにあり
  愛と自由の 旗かざし
  学びの海に 船出せん

 2 心を磨き  体を練り
  勤努力  すすみなば
  艱難を  玉にすと
  古き教え あるぞかし

⑤著作権法

 著作権法
 51条2項:著作者の生存期間および死後50年までを保護期間の原則とする。
 54条1項:映画の著作物の著作権は、公表後70年まで保護される。
 公益社団法人著作権情報センター 著作権法

 条約
 日本国はベルヌ条約、万国著作権条約、WIPO著作権条約の締約国である。また、TRIPS協定を遵守すべきWTO加盟国でもある。したがって、これらの条約、協定で定められた保護期間の要件をすべて満たすように、国内法で著作権の保護期間を規定している。
 ウィキペディア 著作権の保護期間

 旧著作権法を加味した終期の原則
 著作者の死亡日(日本時間):1933年(昭和8年)以降
 保護期間:死後50年まで
 保護期間の事例:1945年(昭和20年)1月27日逝去者の著書は、1995年末まで

④同じ校歌 

 学校によっては、系列校や姉妹校などで、同じ校歌を使う場合があります。

 2010年7月25日に開催された第92回全国高校野球選手権大会・大阪大会13日目で、上宮太子高等学校と上宮高等学校が対戦しました。結果は、9対2(8回コールド)で、上宮太子高校が勝ちました。
 2校は、1890年に設立した宗門校から、1991年に分かれた兄弟校です。校歌は同じで、勝っても負けても試合後は、慣れ親しんだ校歌が流れました。違うことは、歌う側と聞く側に分かれてしまったことでした。

 上宮高等学校は、大阪で最初に出来た私立校と上第65回選抜高等学校野球大会(1993年4月5日)で優勝した名門校としても有名です。

 校歌「月影」は、歌詞に浄土宗法然上人の「月かげの いたらぬさとは なけれども  ながむる人の こころにぞすむ」で、日本一短い校歌と言われてます。

 ⇒校歌「月影」youtube動画(約1分間)

③70年目の憂鬱

 日向市内に、富高小の先生・在校生・家族・富高小OB・関係者が多く住んでいます。

 日向市立富高小学校は、2015年3月25日(水)の卒業式で、卒業生の総数が21,575名になります。新制小学校(6年生)となった昭和22年度以降の卒業生は11, 543名を数えます。

 富高小学校には、長い間「憂鬱」がひとつあります。触れることに賛否はありますが、「憂鬱」に向き合い考えることで、答が見つかることを願い特集します。 

②富高小学校の歴史

 富高小学校の貴重な歴史資料は、置県・天災等により大半を消失しました。

1945年 昭和20年08月27日 富高小学校が大暴風雨で、資料の大半を消失
1945年 昭和20年09月17日 富高小学校が 2 回目の大暴風雨、講堂を残し全壊
1963年 昭和38年01月16日 日向市庁舎が全焼資料を焼失

元禄05年 1692年 臼杵郡富高村、延岡藩より幕府領(天領)
明治元年1月1日
慶応04年4月25日







1868年08月17日

1868年10月23日
1868年01月25日
1868年閏04月25日
府藩県三治制により、日向国(令制国)に富高県
府藩県三治制:明治元年の地方行政制度
令制国:奈良時代~明治初期、律令制に基づく地方行政区分
富高県の県庁を臼杵郡富高村富高に設置
富高陣屋:日向市本町 10-20 (現在の幸福神社)
富高県:児湯郡内 24 村・那珂郡内 15 村
         臼杵郡内 5 村・宮崎郡内 2 村・諸県郡内 4 村
富高県廃止、日田県に編入
富高陣屋は、日田県出張富高御役所
改元の詔書(慶応から明治)
明治04年 1871年
明治04年 1871年
明治04年 1871年
07月14日 廃藩置県(1871年8月29日)
11月14日 美々津県が発足。県庁を美々津町に設置
日田県管轄下と豊後国内の延岡藩領と交換により延岡藩
旧暦
明治5年12月2日
明治6年01月1日
新暦に太陽暦(グレゴリオ暦)を採用
1872年12月31日(火)
1873年01月01日(水)
明治05年 1872年
明治06年 1873年

明治06年 1873年
明治07年 1874年
明治07年1874年
明治08年 1875年



明治09年 1876年

 
明治10年 1877年

明治16年 1883年
明治19年 1886年
明治22年 1889年
大正10年 1921年
昭和12年 1937年
昭和16年 1941年
昭和20年 1945年
昭和21年 1946年
昭和22年 1947年

昭和23年 1948年
昭和26年 1951年
昭和30年 1955年
昭和48年 1973年
平成18年 2006年
学制生発布
01月15日 美々津県と都城県の東半分が合併
宮崎県の県庁を宮崎郡に設置
寺子屋(富高小学校の前身 旧富高村)
富高小学校(旧富高村)設立
美々津小学校(旧美々津村)設立
富高小学校塩見分校設立
細島小学校(旧細島村)
平岩迫小学校(旧岩脇村)設立
寺迫小学校(旧東郷村)設立
08月21日 宮崎県が鹿児島県と合併
鹿児島県の宮崎支庁を宮崎郡に設置
富高小学(住所:富高 教師:直井幸次郎)
西南の役
細島村に官軍の征討本営を設置、有栖川宮熾仁親王が滞在
05月09日 国より宮崎県に再置県
小学校令・中学校令を公布
富高小を富高小と塩見小に分離
町制施行により、富高村が富高町
富島町 誕生(細島町・富高町が対等合併)
開戦
終戦
富高小を富高小・日知屋小・財光寺小・不動寺小に分離
新制中学学校制度
富高小学校の高等科を富島中学校へ分離
富高小と不動寺小を統合
日向市 誕生(富島町・岩脇村が対等合併)
日向市美々津町を編入)
富高小を富高小と大王小に分離
日向市東郷町を編入)

①富高小PTA周年事業実行委員会 

 2015年2月18日(水)日向市立富高小学校PTA(小路雅美会長)は、周年事業実行委員会を開催しました。

 日向市立富高小学校は、1873年(明治6年)に日向市(当時:富高村)が最初に設立した学校です。その後、明治8年1月塩見分校、明治18年7月塩見小学校、昭和21年9月日知屋小・財光寺小・不動寺小(昭和23年4月統合)昭和48年4月大王谷小学校に分かれました。

 児童数が最も多いときは、昭和21年(学童疎開)の2,230名(男子1,133名、女子1,097名)が在籍、昭和23年は児童数1,184名・学級数25・教員数30名に減少しました。昭和34年の1,878名(男子930名、女子949名)学級数35・教員数39名から、児童数は減少を続けています。
 教員数が最も多いときは、昭和16年(戦前)の51名(児童数2,090名)、昭和43年(戦後)の41名(児童数1,328名)です。
 ※昭和45年、日向市の人口は 54,535人(総務省統計局の国勢調査)

tomisyo.jpg 富高小学校校歌 (野口 雨情 作詞 駒井 一陽 作曲)
一、朝日たださす 富高の  みどりも深き 米の山
  海山の幸 あつまれる  われらの郷土 栄えあれ

二、自然の恵 いや深き   富高校は こゝにあり
  奉公ぎせいの 旗かざし 学びの海に 船出せん

三、心をみがき 体を練り  勤励努力 進みなば
 「艱難汝れを玉にす」と  古き教えの あるぞかし

 校歌の作詞は、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情氏が作られました。 
 校舎玄関に掲げてある「艱難汝玉」の書は、内閣総理大臣田中角栄氏より、創立百周年の記念に賜りました。

 田中角栄氏:64代内閣総理大臣(任期:1972年7月7日から1974年12月9日)
 野口雨情氏:代表作は、七つの子・赤い靴・シャボン玉・証城寺の狸囃子など
 艱難汝れを玉にす:苦労・困難を乗り越えて立派な人間になれる

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